2023年1月15日(日)

大叔父さんの告別式を終えた。

正月のある朝に突然亡くなったという。腰を悪くしてからほぼ寝たきりの状態だったようだが、前日の夜は息子夫婦と孫と酒を酌み交わし、大笑いし、いびきをかいて寝たらしい。眠るように亡くなったという表現がぴったりの最期だったようだ。

 

私は、葬式が苦手である。何故かというと、棺の中の故人の顔を見るのが嫌だからだ。

私は、どんなに親しい人でも、世話になった人でも、死体は死体としか思えないことがずっと悩みだった。「顔を見てあげて」と言われてしぶしぶ窓を覗き込むと、死化粧のファンデーションが生前の肌艶を塗りつぶしているし、乾燥した唇も「偽物」のような気がしてしまう。蝋人形みたい、と思うとそこから聖飢魔IIが連想されて、閣下が脳裏に浮かび、故人を偲ぶどころではなくなる。

 

棺にお花を入れるときも、故人のお身体に触れる最期の機会ですと言われても絶対に触らないようにしている。冷たい肌の感触を知ってしまったら、本当にその死体が「偽物」であるかのように感じてしまうかもしれない。……そんなことを考える。あと、単純に死体が不気味だから近づきたくないと思っている。

頑固だけど孫には甘かった祖父も、娘のように可愛がってくれた叔母さんも、正月に食べきれないほどごちそうを買ってくれた大叔父さんも、高校時代の部活の先輩も。みんな、人形みたいに横たわっているのが恐ろしかった。

 

火葬を終えて親戚一同で酒を酌み交わし、酔っ払った両親と共に帰路についた。電車で並んで座っていて、父は爆睡していた。母は珍しくフラフラになるほど酔っていたが、電車に揺られている間に少し覚めたようで、私に「家族というのは……」「親子というのは……」と、今までに何回も聞いた人生哲学を語りだした。

私と母は、仲のいい親子だ。少なくとも母はそう思っているし、私もそういられるように努めている。母と私は性格も価値観も真逆で、親子関係でなければ関わることもなかっただろうと思う。

母は、こうして酔いすぎたときによく「あなたのことが好き、あなたといる時は楽しいし、とても安心する」と話してくれる。私はそれに「そうなんだ」と返すことしかしないのだが、きっと母は「私もママのことが好きだよ」と返してくれるのを待っているのだろうと思う。私は、形式的にそう返すことも出来るはずなのに、いつも言葉が出てこない。ここで「私も……」と返すことが、母親の理想とする親子関係に最も近いものだと分かっているのに、照れなのか、言いたくないだけなのか、分からないけどいつも言葉が出てこない。

 

母は「私のこと苦手?」と聞いてくることもある。母はきっと、私が母に対して抱いている苦手意識に気づいているのだと思う。私はこう聞かれるたびに「頑張って演じて隠したつもりだったのになぜバレているのか」と思う。結局私は「そんなことないけど。なんで?」と返すことが精一杯だし、母は私の「なんで?」にはいつも返事をしない。

多分母は、確認したいのだと思う。「苦手?」と聞かれた私が素直に「苦手だよ」と答えて傷つけるような安易な娘ではないと知っているのだ。だからわざと「そんなことないよ」と言わせたいのだ。そうして、母自身の不安を消そうとしているのだと思う。だけど、私が言う「そんなことない」が心から出た言葉ではないことも、多分気づいてしまっているだろう。だから、私がなんと返しても母は傷ついているかもしれない。

もしくは、母はきっといつか私が「正直に言うと苦手だよ」と答えてくれるのを待っているのかもしれない。母は、私が母に本音を話していないことも、内面について語らないことも分かっているから、きっと私に本音をぶつけてきてほしいのかもしれない。

だから、「私のこと苦手?」と聞かれた夜はいつも、母を傷つけている罪悪感で身体が重くなる。

 

こういう葬式の日は、家に帰ってから家族の死を想像して情けないほど泣くことが多い。今日は特に酷く、1時間泣き続け、風呂に入っても泣き、ドライヤーで髪を乾かしながらまた泣いていた。想像だけでこうなら、現実になったとき私はどうなるのだろう。母のことが苦手で、嫌いだと思っていたけれど、涙と一緒にそういったマイナスな気持ちが流れて出ていったように思えた。

私は泣くたびに「こんなに愛しているのにどうして母を心から好きになってあげられないのか」と苦悩する。最近はもう、どうして苦手だと思っているのか分からなくなってきた。母の言動は娘への愛があり余る故だと昔から分かっているのに、一過性の嫌悪感で母親の全てを否定しているような気がするのだ。もっと年を重ねて、もっと冷静に自分の思考を分析できるようになれば、いつか母のことを苦手じゃなくなる日が来るのかもしれない。

 

そうなればいいと思う。そうして、母が聞きたがっている私の本音とか、何を思って生きているのかとか、何に対して喜びや悲しみや怒りを感じるかとか、そういう話を出来るようになったときが、本当の親孝行なんじゃないかと思う。

 

その時私はどう思うのだろう。長い間待たせてごめんと思うのだろうか。母は笑って許してくれるだろうか。