2023年1月14日(土)

2019年1月1日の自分へ。

 

まだ実家を出ていないころですね。出たくてたまらないでしょう。その年の夏に、友人とルームシェアをして家を出ますので楽しみにしていてください。最高の二年間を過ごします。思い返すだけで涙が出るほど楽しい日々でした。

ちなみに、今は実家から1駅離れたところで一人暮らしをしています。最高です。1駅だけかよと思うでしょうが、実家とのつきあい方を考えると、一人暮らし中は近い方が楽です。だってあの母親だから。ね。

 

家族と過ごす年末年始が嫌だと言っていますね。それは今もそうです。嫌です。家を出ても年末年始は実家に帰って嫌々ながら過ごすのだろうと言ってますが、それも大当たりです。今年の年末も帰りました。嫌です。嫌でたまりませんでした。でも親の機嫌をとるために帰ります。仕方のないことです。

 

実家に住んでいないのに大掃除を手伝わされます。窓拭きと鏡拭きです。「あなたが好きなやつをとっておいたわよ」と母に言われました。最悪です。その窓と鏡を汚したのはあなたたちであって私ではない。掃除をする義理なんかないんです。でもやらなければいけません。なぜなら私は家族の一員だからです。

来年からは年末は帰らず、年始に帰ろうと思います。大晦日恒例のしゃぶしゃぶは食べられなくていいです。「家族なんだからやって当然」から逃れるために、年末は帰らない方がいい。大掃除なんて自分ちだけで十分だわ。

 

彼氏とも別れました。2019年のあなたから見たら二人別れています。母は私が元カレとじきに結婚すると期待して、他人にもそう言ってしまったみたいです。別れたことを伝えていなかった私が悪いです。でもね、話したくないんです。2019年のあなたがそうだったように、2022年の私も母と恋愛の話はしたくありません。気まずいから。

私は、親と恋バナをするのは、親と下ネタを話すくらい気まずいと感じるようです。母親から「好きな体位なに?」とか聞かれたら気分最悪ですよね。あれと同じくらい最悪な気分になります。

 

思い返すと懐かしいですが、小学生の頃、母から好きな男の子はいるかと聞かれて素直に答えたこと、猛烈に後悔しましたね。毎日毎日、今日は喋れたのか、何か進展したかと興味津々で質問してくることに辟易として、もう二度と母と恋愛の話はしないと決意しましたね。あの頃から、母は私の結婚と出産をずっと待っています。最悪です。母は私に対して「結婚して出産するのが当然」と幼少期から刷り込んできていましたが、27歳にもなって独り身だとは予想していなかったのでしょう。最悪ですね。ほうっておいてほしいのですが、そうもいかないようです。

 

今年はもっと最悪なのが、親戚の集まりが4回もあったことです。一度目は年越しを家族で、二度目は母方の親戚と、三度目は家族といとこたち、四度目はまた父方の親戚で、今日葬式で集まりました。(明日は告別式です)どの集まりでも、「あなた、いい相手はいないの?」と聞かれては「いやぁ……」と濁し、「すぐ出会えるわよ」「孫見たいわね」と励まされています。率直に言うと、普通に吐き気がしました。これで私が一生誰からも愛してもらえず独り身だったらどうするんだろ?なんて声をかけてくるつもりなんだろ?

 

いとこ(姉)が結婚して、1歳の子供がいますね。「犬を飼うから子供はいらない」と言っていたのにね。でもよかったです。母にとっては孫みたいな存在が誕生したわけですから、私へのプレッシャーも薄れ……と思いましたよ。逆に私の分と兄への期待が増してました。「やっぱり我が子の孫を抱きたい」だそうです。困りましたね。

驚いたことに、いとこ(弟)も、そして私の兄も、すでに婚約していて3月に入籍するそうです。つまり、来年の集まりは「私以外全員が伴侶と共に集まってくる」という状態です。今からすでに死にそうです。全員が私を囲んで結婚出産の圧をかけてくるということです。そして私は、独り身ゆえにまた母のパシりに使われ、ご馳走の席のセッティングなどを手伝い、みんなが帰っても片付けを手伝わないといけないんです。どうする?今のうちに死んでおいた方がいいかもしれません。とにかく、来年は仮病を使って集まりはサボりましょう。自分を守るべきだと思う。

 

家族を傷つけたくないという想いだけで、家族関係を良好に保てるように努力している私は、とても偉いと思います。それだけの想いで、月1で実家に帰り、料理を手伝って風呂を掃除し、価値観が合わないのに酒を飲み交わして相づちを打つだけの3時間を過ごし、頼まれたことは何でも笑顔で引き受ける。母が自慢に思う「仲良し家族」「仲良し親子」を継続させるために、母と仲良くし続けています。本当は、私の意思で終わらせることだってできます。でもそうはしません。悲しませたくないからです。家族でも誰でも、もう誰かを悲しませるのはごめんです。

さっさと死にたいのに、親より先に死んで悲しませたくないから頑張って生きています。生活なんていう意味も価値もないクソつまらないものを毎日毎日続けています。親は長生きしそうです(死んでほしいとかそういう意味じゃないです。普通に死んでほしくない)。痛みも苦しみも嫌いな私では自死など出来るはずもないですが、いつ死んでもいいという安心感を早く手に入れたいと思う今日この頃です。2019年のあなたは偉かった。2023年の私も偉いはず。きっと今後もずっと偉いです。誰も褒めてはくれません。でも私だけは、私がどれだけ偉い娘であるかを知っています。

 

悲しいことですが私は母の傀儡として機嫌を取り続けないといけません。「そんな生き方をする必要はない」と他人に言われても変えることはできません。家族は仲良く大事にするものだと刷り込まれている以上、私は自分の機嫌より母の機嫌を優先することしかできません。学生時代はそれがどうしても出来ませんでした。嫌なものは嫌でした。最近は大人になって感情の制御が出来るようになってきました。下手に反発して怒らせたり拗ねられたりすると面倒ですし。

 

両親は60歳になりました。あと30年くらい?と考えると、もう数えるほどしか会えないです。(月1で会っていますが)今のうちに嫌々でも親孝行をして、もしそのときが来た時、ああしていれば、こうしていればと後悔しないようにします。後悔してしんどいのは自分です。自分のために、親孝行しようと思います。私の目標は、両親が幸せにこの世を去れるようにすることです。好きになれない母でも、その目標を変えることはしません。

感謝してほしいくらいだね。自分のことを好きになれないのに、おくびにも出さず機嫌とって尽くしてくれる娘にさ。そんな私に対して母は「私の教育がよかった」とか思うのかな。どうだろう。まぁ育てられた側の私には何も言えないな。だって私が今こうしているのは間違いなく両親の教育の結果なわけですし。

 

そんなこんなで、2023年もあらゆるしんどさに耐えて生活を営んでいきます。生活、この世で一番つまらないのにやめることは許されないの、最悪だね。

生んでくれなんて頼んでいないんだけどね。

でも、親にとって子は宝であり希望です。だから私は、親にとっての宝であり希望であり続けないといけません。頑張って生きていきましょう。

 

無理するなとか言いません。無理をしなくていいなら今頃生きていません。無理してでも生きます。大きな絶望も悲しみも挫折もない、平坦で平凡で怠惰な人生だけど、足を取られてじわじわと沈む沼みたいな人生の苦しみに飲まれないように。