2023年3月20日(月)

耐えきれず、一人で近所に夜桜を見に行った。

今週は雨予報だから、ゆっくり夜桜を見るなら今日しかないと思ったのだ。

 

家から歩いて10分くらいの場所にある川に沿って、ソメイヨシノが植えられている。夜になると、吊り下げられた提灯に灯りがともる。

酒を買い、家でコロッケパンを作って(惣菜のコロッケを買って千切りキャベツとともに食パンに挟み、ホットサンドにしただけ)持参した。まだ6分咲きといったところで、人は多くなかった。寒いのもあって人々は長居せず、毎年この時期は取り合いになるベンチも空いていた。

 

私は、一人でパンを食べながら酒を飲んだ。BGMは、大好きな映画「ミッドナイトスワン」のサントラだ。ピアノの曲が切なくて、夜桜によく合う。ストロングゼロを飲んでいる。今、いい具合に酔いがまわって、最高に鬱だ。鬱とか言っても私のこれは病気でもなんでもないただのネガティブなのだが、まぁ、こんな夜くらい自分を鬱と言っても許してもらえないだろうか。

 

散歩をする犬や、はしゃぐ子供が目の前を通る。

友人同士と思われる女性たち、男性たち、カップルが、桜を見上げながらゆっくりと歩いていく、

人の笑い声がイヤホン越しに聞こえる。

私は酔っぱらっている。

涙がじわじわと滲んでくる。

一人は好きだ。なのに最近は無性に寂しい。

かすんだ視界に桜が映る。まだ満開とは言えないのに綺麗だ。

寒の戻りというのだろうか、今夜はとても冷えた。風がよく吹くし冷たい。念のためダウンコートを着てきてよかった。このダウンコートは好きな男とデートしたときに買ったのだ。その男からは連絡の一つもない。好かれないのは慣れている。けどこんな寒い夜には、その実感が余計に骨身に染みる。誰も私を必要としない、特別に思わない事実がただ悲しみを増幅させる。

冷たい缶チューハイを握る右手は凍えているけれど、構わないと思った。今、何もかも終わってしまえばいいのにと思った。この酒が毒杯ならばどれほどよかったかと考える。ここで夜桜を眺めながら死ねれば何の悔いもない。いや……親族に見られたくない自作小説だけは、データも何もかも消してから死にたいところだ。

 

目の前で、提灯が揺れている。風に吹かれて、忙しなく左右に揺れながら、川沿いの砂利道をぼんやり照らしている。私はそれをぼんやり眺めて思う。昨年の春、いやその前も、何年も何年もずっと、私は誰かとここに来ていた。友人や恋人や、いろんな人を連れてここを訪れた。今年は一人だ。一人を選んだ。一人を選ばざるを得なかったとも言える。

 

こんなに悲しかっただろうか。寂しかっただろうかと考える。一人は好きなのに、最近はずっと無性につらい。何の根拠もないのにずっと空しい。一人が好きで、一人を選んでいたときより、一人しか選べない今が苦しい。友人も皆、大事な人がいて、その人と一緒に過ごしていて、私は、一人で桜を見ている。この桜は毎年変わらず私の前で咲いてくれるのに、私はずっと桜に同じ顔を見せられない。

 

悲しい。生きる理由が欲しいだけなのに、私自身の人間性のせいでその理由がずっと作れずにいる。

今は親のために生きている。いや、親のせいで死ねないでいる。生んでくれとも頼んでいない親のために。生んでくれもと頼んでいないのに、死ぬことは許してくれない自己中心的な親のために、死ぬことができないでいる。私は子として生まれたから、親を悲しませないようにと、それだけを思って生きている。本当は、もうどうなってもいいのに。このまま誰にとっても特別じゃない、「この歳で独り身なのは人間性が終わってるからだ」などと後ろ指を指されながら生きていくくらいなら、その終わってる人間性とともに灰になって無になりたいのに。

 

私は死後の世界など信じない。死ねばそれで無になって終わりだと思っている。そうじゃないと困る。死後もうるさい親戚や家族たちに囲まれて酒盛りの相手をしたり、機嫌をとったりしないといけないなんて、それじゃあ死になんの救済もない。だから、ずっと信じている。天国も地獄もない。死んだら無になる。これは確か、DEATH NOTEの最終回で言われていたセリフだったか。

 

好きな男も、嫌いな母親も、信用している親友たちも

今は誰にも会いたくない

会っても何を話せばいいのか分からない

毎日考えている

死ぬときのことを考えている

今まで作った同人誌も全部捨てて

パソコンやUSBに残っている同人誌や一次創作のデータも全て消して

登録しているサービスを全部解除する。Twitterもそうだし、ぐるなびとかそういうレベルも全部消す。

LINEは残しておく。私が死んだことを友人に知らせてもらうために、敢えてトーク履歴も残しておく。見られたくないもの(元カレとか)は消しておく。

サブスクも全部解約する。アマプラとかPS4とか。それからスマホのロックはかけないでおく。そして、カードや口座のパスワードをメモしたアプリを、これも鍵なしで作っておく。私の死後、あらゆる処理に困らないように全部の鍵を取っ払っておく。今住んでいる賃貸の家の、水道やガスや通信の会社の連絡先とマイページのログイン方法も全部メモする。

家の中にある不要なものも全て捨てておく。セルフジェルネイルのセットとか。漫画とか。中村文則の本は捨てる。妙な勘繰りをされそうな気がするから。

 

そして、遺書は書かず、真夏、エアコンをつけずに過ごす。水も飲まず、ベッドで横たわる。きっと苦しいだろう。耐えきれずに水を飲むのかもしれない。でも、長く続く生活という牢獄から脱するためには必要な苦しみただと受け止め、我慢して眠り続けて欲しい。

 

そして、静かに死にたい。死んだら、後のことはどうでもいい。

そんなことを、毎日考えながら仕事をしている。毎日8時間、週5回。そうなれればいいのに、と夢を見ている。

 

こんなことを考えているから、幸せそうな友人たちにどんな顔で会えばいいのか分からない。口を開いても後ろ向きな話しかできなくて、誰かを楽しませたり、笑わせたりすることが難しい。

 

友人の結婚式も、出れるか分からない。

希死念慮に押し潰されてなければいいと願う。

どうせ死ぬ勇気もないし、両親は健在だから死ぬことなどできるはずもないのだが、存在だけでも忘れられて、誰かの記憶の中だけでも死ねればいいと考えている。

でも意味がない。私自身の生活が終らなければなんの意味もない。分かっているのに、もう、どうにも前向きではいられない。

 

桜が揺れている。

今週は、例えどんなに雨が降ってもここに来て桜を見る。