2018年9月23日(日)

突然だが、左耳の軟骨にピアスを1つ開けた。

 

営業職として不適切かもしれないが、髪で隠れるため気にしないことにした。私の中学生以来の念願がついに叶った。憧れていた人々の輝きに少しでも近づけたことが誇らしい。

 

私が、いわゆるビジュアル系バンドを好きになったのは中学2年生で、席が1つ前の友人にCDを借りたことがきっかけだった。その友人とはその日から今まで絆を保ち、大事な話も他愛もない話も腐るほど積み上げた。中学生ならではの、大人になったらこれがやりたい、ああなりたい、などといった将来に対する希望も溢れ、放課後の部活や下校中、交換ノートの中までそんな話題で持ちきりだった。

 

その希望のなかに、ピアスを開けたいという願望があった。しかも、耳たぶに1つ、なんて可愛いものではなく、「眉に1つ、眉間に1つ、口に3つ、耳に5こずつ、拡張あり」と言った、馬鹿げたピアス欲を抱えていた。当時好きだったバンドに、ボディピアスが過剰なギタリストがいて、その人に憧れていたのもある。さすがに冷静になって、顔に開けたら色々困るな、と思い直し、耳にいっぱい開けたいなという願望にすりかわっていった。

 

当然、比較的厳しい親の元に生まれた私にはそんな願望を叶える術は皆無で、私服登校が可能な自由な校風の高校に進学することすら許されなかった。親からの猛烈な反対意見には、「偏差値の高いところに行けば生徒の質が上がり、全体的な雰囲気も真面目になる。低いところに通うと、自分だけはしっかりと過ごすという強い意思が必要になるが、お前は確実に堕落する」という言葉があった。なにも返す言葉がなかった。まぁ、偏差値の高い進学校に通っても堕落してしまったわけだが、とにかく、ピアスは大学まで持ち越しとなってしまったのだった。

 

日々を過ごすなかでビジュアル系バンドに対する愛情が薄れることはなかったが、それに対する世間の風当たりも徐々に理解した。私と友人の帰り道で、すごく覚えている会話が一つある。「周りの人間と同じ、ありふれた普通の人生は歩みたくない」と言っていたことだ。つまり、人と違うことをするビジュアル系バンドマン達の容姿も音楽も、生き様にも憧れを抱いていたわけだ。だが、大人になって思う。人と違うのは大きな不安も付きまとう。他者からの否定的な意見も多く受ける。周囲の目を気にしがちは私には、そんな生き方は確実に向いていない。当初願っていた「顔面ピアス計画」が実行されずに、本当に良かったと思う。ありふれた人生が嫌なのは今も同じだが、それがいかに堅実で安定的で有り難いものかも、身に沁みて理解している。

 

高校を卒業してすぐ、両耳たぶに一つずつピアスを開けた。あの時のドキドキは今でも覚えている。当然一つずつで終わらせる気などなく、右に二つ、左に一つ追加した。開けすぎて母親に叱られた。母親は就活を考慮して叱っていたようだが、そのとき「軟骨だけは開けるな」という呪いのような言葉まで貰ってしまったのだ。それを恐れて、今の今まで、あんなに憧れていた軟骨ピアスを開けずにきてしまった。

 

なぜ耳たぶならいいのに軟骨はダメなのか理解出来ないが、現状は無事就活を終えて就職し、自らの力で稼いでいる。ならば、文句など言えないだろう。何も言わないで開けてしまって、バレて叱られたらスマンとか言っておけばいいか……と、少し開き直ってしまい、今に至る。秋は髪を結わないからファーストピアスを隠せるし、丁度いい。

 

 

そんなこんなで、今さらになって不良デビューを果たしたような、こそばゆい気持ちになっている。母親に隠し事をしているという罪悪感でストレスを感じたが、だからといって自ら「軟骨に開けました!ダメって言われてたのに」なんてカミングアウトするほどの話でもないし、今まで通り、家の中では耳を丸出しにして過ごしてみることにした。いつバレるかドキドキしている。この歳になって反抗とは。

 

軟骨ピアスは私にとって特別な意味がある。青春のキラキラしたあれやそれが詰まっている。だが、母親にバレて叱られたら、それを説明するのはたぶん物凄く面倒くさいので、黙ってごめんなさいを連呼するマシーンとなってしまうのだろう。おやすみなさい。