2018年1月8日

クリスマスから正月にかけてのバイトラッシュがようやく終わり、久々に何もない1日が来た。クリスマスのときは4時半に起きていたし、クリスマスが終わっても毎日毎日6時に起きて出勤していた自分を褒めたい。時計が一周するぐらい寝るのも、目覚ましをかけずに寝るのも久しぶりで心が踊った。

 

先日ひさしぶりに金魚の水槽を掃除してからというもの、1日中水槽の前で三角座りをしながらスマホをいじって過ごしている。画面から目を離して見上げると、たまに金魚と目が合う。飼い始めたのはおそらく3年ほど前になるが、見違えるほど大きく立派になった。浮くタイプの餌を与えると必死にパクパクするところも可愛い。金魚の中でもこの手のヒラヒラゆらゆらした種は泳ぎがゆっくりで、流れる餌を的確に食べることができない。浮いている状態で食べるより、それが沈んだあとに底砂の中から探し出して食べるほうが多いだろう。私が神視点で見ているからこの金魚たちの鈍さにやきもきしてしまうのだろうが、それもまた金魚の可愛さの1つでもある。

 

起きてきてすぐにそうめんやインスタントラーメンを食べることを「身体に悪い」と言って怒る父は、なぜか起きてすぐ餅を食べることには肯定的だ。塩分と炭水化物しか摂取できないことは同じなのに。「おっお餅食ってるのか!うまいか?」と何故か嬉しそうに聞いてくる。もちろん餅屋の息子な訳ではない。

 

冬は部屋が極寒なのでだいたいリビングで過ごしている。昨夜も映画を見ている母親の隣でゲームをする。たまにテレビ画面に目をやると、母親が頼んでもいないのに解説を挟んでくる。これはタイムトラベル系の映画で、このお爺ちゃんは未来からきた主人公の息子なのよ……。見てないから大丈夫だよ、などと突き放すことも出来ず、ゲームから目を離し、うんうん、と相槌を打つ。一通り終わったらまたゲームに戻る。また親の解説が始まる……これを繰り返し、結局映画を最後まで見てしまった。ドイツ映画らしいが、アメリカ映画みたいなハッピーエンドだった。どんな病も治す薬で銃殺された恋人を甦らせたときは、「死とは病気なのか」と考え込んでしまった。ご都合主義というか、まぁ、あのイケメンが甦ったのは喜ばしいことだろう。

 

ダンボールで買ったみかんたちの中から腐ったみかんで出てきた。これはまずい。とりあえず腐ったみかんを腐ってないところだけ食す。これから腐りが大流行してしまうと心配だったが、数日観察してみても、みかんたちは至って健康だ。喜んでむしゃむしゃ食べている。食事のほとんどを炭水化物で済ませている私にとって、このみかんたちは貴重なビタミン源。小さい頃はみかんを1房ずつ勿体ぶって食べていたが、今は2房、3房ずつ贅沢に口に頬張っている。昔の純粋さはもう帰ってこない。

 

冬すら半袖短パンで過ごす星人な私も、さすがにスウェットを着た。小学生のとき、1年中半袖短パンで過ごすというプライドがあったクラスメイトの男子が、換気のために窓を開け放した冬の教室でガタガタ震えていたのを思い出す。あのときは先生すら「早く窓を閉めてあげないと死んでしまう!」と慌てていた。彼は元気にしているだろうか。