2023年3月20日(月)

耐えきれず、一人で近所に夜桜を見に行った。

今週は雨予報だから、ゆっくり夜桜を見るなら今日しかないと思ったのだ。

 

家から歩いて10分くらいの場所にある川に沿って、ソメイヨシノが植えられている。夜になると、吊り下げられた提灯に灯りがともる。

酒を買い、家でコロッケパンを作って(惣菜のコロッケを買って千切りキャベツとともに食パンに挟み、ホットサンドにしただけ)持参した。まだ6分咲きといったところで、人は多くなかった。寒いのもあって人々は長居せず、毎年この時期は取り合いになるベンチも空いていた。

 

私は、一人でパンを食べながら酒を飲んだ。BGMは、大好きな映画「ミッドナイトスワン」のサントラだ。ピアノの曲が切なくて、夜桜によく合う。ストロングゼロを飲んでいる。今、いい具合に酔いがまわって、最高に鬱だ。鬱とか言っても私のこれは病気でもなんでもないただのネガティブなのだが、まぁ、こんな夜くらい自分を鬱と言っても許してもらえないだろうか。

 

散歩をする犬や、はしゃぐ子供が目の前を通る。

友人同士と思われる女性たち、男性たち、カップルが、桜を見上げながらゆっくりと歩いていく、

人の笑い声がイヤホン越しに聞こえる。

私は酔っぱらっている。

涙がじわじわと滲んでくる。

一人は好きだ。なのに最近は無性に寂しい。

かすんだ視界に桜が映る。まだ満開とは言えないのに綺麗だ。

寒の戻りというのだろうか、今夜はとても冷えた。風がよく吹くし冷たい。念のためダウンコートを着てきてよかった。このダウンコートは好きな男とデートしたときに買ったのだ。その男からは連絡の一つもない。好かれないのは慣れている。けどこんな寒い夜には、その実感が余計に骨身に染みる。誰も私を必要としない、特別に思わない事実がただ悲しみを増幅させる。

冷たい缶チューハイを握る右手は凍えているけれど、構わないと思った。今、何もかも終わってしまえばいいのにと思った。この酒が毒杯ならばどれほどよかったかと考える。ここで夜桜を眺めながら死ねれば何の悔いもない。いや……親族に見られたくない自作小説だけは、データも何もかも消してから死にたいところだ。

 

目の前で、提灯が揺れている。風に吹かれて、忙しなく左右に揺れながら、川沿いの砂利道をぼんやり照らしている。私はそれをぼんやり眺めて思う。昨年の春、いやその前も、何年も何年もずっと、私は誰かとここに来ていた。友人や恋人や、いろんな人を連れてここを訪れた。今年は一人だ。一人を選んだ。一人を選ばざるを得なかったとも言える。

 

こんなに悲しかっただろうか。寂しかっただろうかと考える。一人は好きなのに、最近はずっと無性につらい。何の根拠もないのにずっと空しい。一人が好きで、一人を選んでいたときより、一人しか選べない今が苦しい。友人も皆、大事な人がいて、その人と一緒に過ごしていて、私は、一人で桜を見ている。この桜は毎年変わらず私の前で咲いてくれるのに、私はずっと桜に同じ顔を見せられない。

 

悲しい。生きる理由が欲しいだけなのに、私自身の人間性のせいでその理由がずっと作れずにいる。

今は親のために生きている。いや、親のせいで死ねないでいる。生んでくれとも頼んでいない親のために。生んでくれもと頼んでいないのに、死ぬことは許してくれない自己中心的な親のために、死ぬことができないでいる。私は子として生まれたから、親を悲しませないようにと、それだけを思って生きている。本当は、もうどうなってもいいのに。このまま誰にとっても特別じゃない、「この歳で独り身なのは人間性が終わってるからだ」などと後ろ指を指されながら生きていくくらいなら、その終わってる人間性とともに灰になって無になりたいのに。

 

私は死後の世界など信じない。死ねばそれで無になって終わりだと思っている。そうじゃないと困る。死後もうるさい親戚や家族たちに囲まれて酒盛りの相手をしたり、機嫌をとったりしないといけないなんて、それじゃあ死になんの救済もない。だから、ずっと信じている。天国も地獄もない。死んだら無になる。これは確か、DEATH NOTEの最終回で言われていたセリフだったか。

 

好きな男も、嫌いな母親も、信用している親友たちも

今は誰にも会いたくない

会っても何を話せばいいのか分からない

毎日考えている

死ぬときのことを考えている

今まで作った同人誌も全部捨てて

パソコンやUSBに残っている同人誌や一次創作のデータも全て消して

登録しているサービスを全部解除する。Twitterもそうだし、ぐるなびとかそういうレベルも全部消す。

LINEは残しておく。私が死んだことを友人に知らせてもらうために、敢えてトーク履歴も残しておく。見られたくないもの(元カレとか)は消しておく。

サブスクも全部解約する。アマプラとかPS4とか。それからスマホのロックはかけないでおく。そして、カードや口座のパスワードをメモしたアプリを、これも鍵なしで作っておく。私の死後、あらゆる処理に困らないように全部の鍵を取っ払っておく。今住んでいる賃貸の家の、水道やガスや通信の会社の連絡先とマイページのログイン方法も全部メモする。

家の中にある不要なものも全て捨てておく。セルフジェルネイルのセットとか。漫画とか。中村文則の本は捨てる。妙な勘繰りをされそうな気がするから。

 

そして、遺書は書かず、真夏、エアコンをつけずに過ごす。水も飲まず、ベッドで横たわる。きっと苦しいだろう。耐えきれずに水を飲むのかもしれない。でも、長く続く生活という牢獄から脱するためには必要な苦しみただと受け止め、我慢して眠り続けて欲しい。

 

そして、静かに死にたい。死んだら、後のことはどうでもいい。

そんなことを、毎日考えながら仕事をしている。毎日8時間、週5回。そうなれればいいのに、と夢を見ている。

 

こんなことを考えているから、幸せそうな友人たちにどんな顔で会えばいいのか分からない。口を開いても後ろ向きな話しかできなくて、誰かを楽しませたり、笑わせたりすることが難しい。

 

友人の結婚式も、出れるか分からない。

希死念慮に押し潰されてなければいいと願う。

どうせ死ぬ勇気もないし、両親は健在だから死ぬことなどできるはずもないのだが、存在だけでも忘れられて、誰かの記憶の中だけでも死ねればいいと考えている。

でも意味がない。私自身の生活が終らなければなんの意味もない。分かっているのに、もう、どうにも前向きではいられない。

 

桜が揺れている。

今週は、例えどんなに雨が降ってもここに来て桜を見る。

 

2023年3月17日(金)

いろんな誰かに呆れられたり、失望されたり、鬱陶しがられたり、そうやって嫌われたときの悲しみを考えたとき

今から少しずつでも忘れられて、そのうち誰からも

好きも嫌いもなく、生きているのか死んでいるのかも分からないような

そういう存在になっておきたいと

思うようになった。

どうせ自分はいつか何かとんでもないことをやらかしたり、誰かに嫌な思いをさせたり

そういうことをする。絶対にすると思う。

いろんな誰かが皆、何があっても私を好きでいてくれるとは思わない。

人を信じることもないし自分を信じることもないと思う。

だから少しずつ、いろんな誰かの人生から存在を薄れさせて

少しずつ消えていきたい。

 

何をするにも惨めな思いをしている

誰にも会いたくない

話をしたくないし、何も考えたくない

早く時が過ぎればいい

癌にでもなって死ねないかとずっと考えているのに

その考えと逆行した健康的な生活を送っている

癌で死んだ先輩のことを考える

誰からも愛される人だったのにどうして死んでしまったのか

私が代わってあげられればよかったのにと思う

なんでもいいから自殺じゃない方法で私を殺してほしい

自殺だけは駄目だと親に言われている

勝手に生んどいて何言ってんだよと思う

 

いろいろ考えても心も身体も丈夫なので

眠れなくなったり食欲がなくなったりしないし笑うこともできるし冗談も言える

いっそ気が狂ってしまえればいいのにそうなれない

損か得か分からない

どこか遠くに一人で行ってそのまま皆に忘れられたい

 

今日は雨予報だ

私は雨が好きだ

 

2023年3月1日(水)

未だに思い出すと落ち込んで脱力するが、元恋人に別れを切り出されたとき、つらつらと並べられた私の気に入らないところの一つに「自信がないところ」があったのが、ずっと心の奥底で泥みたいに溜まっている。

私は思った。あなたが私の恋人なら、私に自信を持たせてくれる存在でいてほしかった。付き合っていた1年間、一言だって私を褒めなかったのに。私の自信になるようなことを一つだって言わなかった口で、自信持ちなよと、無責任なことを言った。

 

あなたは恋人じゃないか。恋人って、好き同士でいるのが前提じゃないのか。好きってことは、相手の何かしらを肯定することだって出来るはずじゃないか。どこかを好きだから付き合ってるんじゃないのか。でも、元恋人は「ネガティブで自分に自信がないところが好きになれない。自信を持ちなよ」と平気で言った。じゃあ、どこに自信を持てばいいのか教えてみせろよ。なんで私と付き合ってたの。どこが好きだったの?無いの?無いのか。

そうか、だから今振られているのか。私は当時そう思って、ああもう今更自分を改善してみせることなどできないのだろう、取り返しがつかないのだろうと悟って、でもどうにか許してもらえないかと縋りつきたい想いだった。「許してもらう」の時点で関係性はお察しな状態で、完全に上下関係が生まれていたし、私の意見を聞き入れて「もらう」ことが前提だった。私と彼は対等ではなかった。彼は私と対等でいたかったようだが、彼は自覚もなく私を見下していたように思う。

 

 

「言いたいことがあるなら何でも言ってよ」という彼の言葉を信じて「もっと彼女扱いしてほしい。いじられキャラなのは自覚しているけど、今までの友人関係と同じように酷い扱いを受けて笑いものにされるのは傷つく」と伝えたとき「お前のことなんか今更彼女扱いできない。友達が長すぎて今更変えられない」と言って拒否されたことも、きっと一生覚えていると思う。なんだ、私が意見を言っても聞き入れてもらえないんだ。それどころか、より傷つけられるだけなら意見なんか言わない方がマシじゃないか。当時の私はそう思った。だから、それ以降彼には何も言わなかった。すると、別れるとき「自分の思っていることをはっきり言ってくれないのもストレス」みたいなことを言われた。封殺したのは自分なのによくそんなことが言えたなと思った。

その元恋人は、付き合うとき「いいの?俺、自分のこと嫌いだよ」と言った。はじめは意味が分からなかった。自分のことを嫌いな人間と付き合うことの何が問題なのか分からなかったのだ。そうなると、私も自分のことが嫌いだが、あなたはそれでいいのか?と思ったが聞かなかった。というより、自分のことが嫌いなのはほぼすべての人間が前提として抱えているものだと思っていた。

長い付き合いの友人だったから分かるが、彼が自分を嫌いなわけがない。自分に自信満々な男だった。仕事も勉強も趣味も誰より優れていないと気が済まない人間で、実際、とてもよく出来る人だった。私は、そんな人間から「自分嫌い」のカミングアウトを受けた。

私は思った。「自分嫌いをナメるなよ!ファッションみたいに使ってんじゃねぇよ!」実際、私も自分嫌いをファッションとして使っている節があるのに。

本当に、彼は自分のことを嫌いなのかもしれない。だけど私は、彼の自分嫌いと私の自分嫌いを同じ種類のものとして扱われたくないと思った。とにかく私は「嘘かもしれないけど、自分嫌いと言うなら、私だけでも彼を肯定してあげなければ」と思った。よくよく考えたら、元恋人を肯定する人間なんかいくらでもいた。私が何かしてあげる必要もなかったのだ。

彼は、自分を肯定することに根拠を必要としない人間だった。私と違って、自分を嫌いでも自分に自信を持てる人間だった。だから無責任に「自信を持てば?」と言ったのだ。少なくとも彼は、そう言われたら「そうだね!わかった!」と二つ返事で自信を持てる人間で、他人も皆そうだと思っていたのだろう。

 

話は変わるが、私はとにかく考えごとが止まらない性格だ。こうして文章を書くのが好きなのも、散漫になった思考を整理するのに最適だからだ。今の仕事は8時間ずっとデスクに座って文字と向き合っているが、「文章の内容を読んで理解する」仕事ではないので、文字の表面だけを目でなぞって、脳を経由させないで誤字脱字を発見していく中、8時間ずっと考え事をしている。私は人の話を上の空で聞いていることが多い(元恋人にも「直せ」と指摘されていた悪癖だ)。

8時間ずっと、自分を否定している。否定したいわけではないが、思考していると行き着く結論がいつもそこになる。私は自分を肯定するために根拠を必要としているのに、どれだけ思考してもその根拠を見つけることができない。否定する根拠だけはたくさん出てくる。壊した蟻塚みたいに、黒くて小さくてうじゃうじゃしたネガティブがぶわっと溢れてそこらじゅうを走り回っている。

 

誰かと一緒にいたい、とよく思うようになった。誰かと一緒にいないと、生きていく理由がない。自分のために生きていこうとも思えない。家族のためを思うと「生きていたい」ではなく「死ねない」になってしまう。私は、死ねない理由ではなく生きたい理由がほしい。そうすればどれほど心が楽になるか。無意味で無価値で平坦な生活を、ただ機械のように繰り返す人生に意味を持たせて、早く楽になりたい。誰かにとっての特別になりたい。

それと同時に考える。その一緒にいてくれる誰かを「自分が楽に生きるため」に好きになり、「自分が楽に生きるため」に付き合わせるのだ。私の利己的な考えのせいで、誰かは利用される。可哀想だ。誰かを付き合わせるにしては、私はあまりにも不出来だと思う。怠惰で醜く、愚鈍で、粗暴で、根暗で、人を信用することができず、誰かに信用されることもない。そういう人間の自分勝手な考えのために、誰かが人生を台無しにされる。もっといい人がいたかもしれないのに、その可能性を壊され、私と付き合わされる。可哀想だ。

でもきっと、孤独に耐えられないんだろうな。だから、こんなことをごちゃごちゃ考えているくせに、結局誰かに助けを求めるんだろうな。一人になりたくないがために。

その誰かを騙し続けて生きていければいいのかもしれないが、醜い利己的感情がバレたとき私は何と言い訳するのだろう。馬鹿みたいに言葉を並べて縋りつくのだろうか。そうやってまた思い出したくない記憶を増やしていき、過去を振り返らないように、希望のない未来も考えないように、ずっと自分を否定するだけの思考の渦に飲まれながら、無意味で無価値で平坦な生活を、ただ繰り返すのだろうか。死ぬまで、約50年。

 

孤独は恐ろしい。それよりもっと恐ろしいのは、「お前といるより孤独の方がマシ」と言われることだ。私は孤独を恐れているが、はじめから孤独でいれば私は何にも傷つかずに済む。傷つかないし、誰も傷つけない。呆れられたり失望されたりすることもない。このまま孤独に守られて生きていこうか、そんな勇気があるだろうか。そんな風に思いながら栄養士協会の論文を目でなぞる。今日も長い8時間を過ごす。明日も明後日も来週も。

 

人間は、3日水を飲まなければ死ぬらしい。知っていたことだが、今改めてそう言われると「なんだ、意外と簡単なんだな」と思った。どうせ試してみたとて死への恐怖に屈して、1日目の夜か2日目の朝、台所の蛇口に齧りつくようにして、カルキ臭い水を無様に啜り、死にたくないと言って泣くのだろう。

 

そんなわけで、3月が始まりました。幸先の悪いスタートですね。

2023年2月24日(金)

久しぶりに怖い夢を見た。怖い夢というのは、幽霊や怪物に襲われる話でもなく、はたまた犯罪に巻き込まれるような話でもなかった。

私が、金銭的に困窮したあげく、飼育している金魚を殺す夢だった。

 

今年の真冬、暖房をつけずに乗り切った。訪問者がいない限りエアコンはつけず、足先がもげそうなほど冷たくなったときだけホットカーペットをつけた。照明もほとんどつけず、夜は暗いなかでテレビの明かりだけを頼りに過ごした。それでも、夏に毎日ずっとエアコンをつけて電気もピカピカにしまくっていた生活と、電気代があまり変わらなかった。電気代の凄まじい高騰に絶望していた。それに追い討ちをかけるように、電力会社から「3月使用分から、基本料金値上げのお知らせ」という連絡が届いた。電力会社の見直しを迫られている。

 

そんな状況のなか、いつものように冷たいベッドに潜り込み、はやく体温であたたまれと念じながら身体を丸めていたときだった。いつの間にか眠りに落ちた私は最悪の夢を見たのだ。

また電力会社からの電気代の請求を見ていた。2万円を越えた請求だった。どう考えても一人暮らしで2万なんて越えるわけがないのだが、夢の中の私はそれを見て「もうおしまいだ」と思った。一人暮らしをやめて実家に帰ろうと思った。だが、なんとか足掻きたかった。やっと手にした自由を手放す気になれなかったのだ。

ふと顔を上げると、小さな水槽に金魚がいた。綺麗な水の中を優雅に泳ぐ様は、見ていてとても癒された。だが、この水質を維持するためには濾過フィルターを毎週取り換えないといけない。濾過フィルターは6個いり700円。水も毎週3リットル程度入れ換える。濾過器は1日中つけっぱなし。電気も夜以外はつけっぱなし。私は、そのとき思った。「こいつらさえいなければ」と。

実際、水槽の循環器や照明の電気代など大した金額にはならず、トータルで1000円ちょっとだ。水道代だって毎週3リットル程度じゃほとんど影響もないし、濾過フィルターも購入するのは2ヶ月に1回くらい。犬や猫に比べてこんなに安価で飼育が楽なペットはない。だが、困窮のあまり思考がとまった私は思ったのだ。「金魚なんて、生きるのに必要ないものに金は払えない」と。

そう思って、夢の中の私は金魚を水槽から取り出し、床に投げ捨てた。ラグの上で何度か跳ねた金魚たちは、次第にえらや口をパクパクさせるだけになった。しかし、中々死ななかった。

 

私は一度、本当に、金魚を窒息死させたことがある。高校生の頃だ。

その時は、同じ水槽にヌマエビを入れていた。淡水魚を飼育するうえで、ヌマエビを入れることはさほど珍しいことではない。水槽内に沈む金魚の糞や苔、死骸を食べてくれる掃除要員でもあるのだ。

ある日、学校から帰ると金魚がひっくり返って浮いていた。病気をしていてもう数日ともたない状況だったので、あまり驚かなかった。一生懸命に口とえらを動かして、なんとか酸素を取り込もうとする姿は痛ましかったが、飼い主としてその最期をきちんと看取ろうと思い、水槽の前でじっとその様子を見守っていた。

そのとき、水槽にいたヌマエビ3匹が、金魚のひれに群がって千切りはじめた。無情にも生きたまま食べはじめたのだ。

私は慌てて水槽に手を突っ込み、エビを追い払った。何度やってもエビは金魚に群がって、金魚のひれやうろこを千切って食べた。まだ死んでない、まだ死んでないと躍起になって追い払い続けた。

私は、ついに金魚を水槽から出した。生きたまま食われるなど恐ろしい最期を迎えさせるわけにはいかなかったからだ。どこか、コップでも茶碗でもいいから、水を張って入れてやろうかと思ったが、そうしなかった。

私は、金魚を早く楽にしてやろうと思った。だから、金魚をハンカチのうえに置いて、窒息するのを待ったのだ。

とても長い時間、布の上で苦しむ金魚を見ていた。私は情けないくらい泣いていた。金魚を殺したという事実を、永遠に忘れないようにしようと誓った。

 

夢の中で、私はそのときと同じように、金魚が死ぬのを待っていた。涙は出なかった。自分が生きていくためだからだ。

私は安堵していた。ああ、これで来月の電気代は安心だ。もう濾過フィルターを購入しなくていいんだ。もう水槽の掃除もしなくていいんだ。

気づけば日が暮れて、部屋の中は真っ暗になっていた。真っ暗な部屋の中、金魚だけがまばゆい光を放ちながら、必死に呼吸をしていた。私はただ、ぼんやりそれを見ていた。

 

金魚がぴくりとも動かなくなった。ツヤツヤだった目は白く濁っていて、水中で優雅に揺れていた絹のようなひれは、ぺたりとラグに張りついて貧相に見えた。

一人になってしまった。生活のために切り捨てたせいで、私は本当に一人になってしまったのだ。そう思うと、情けないくらい涙が出てきた。私の流した涙が金魚の渇いた鱗を潤し、また息を吹き返してはくれないだろうかと願った。だが真っ暗な部屋の中、闇に溶けた金魚の死体は、もうどこに横たわっているのかも分からないくらいだった。

 

そこで私は目を覚ました。髪が涙で濡れていた。

2023年2月16日(木)

兄が恋人と婚約したと親戚に報告した日の夜だった。家族で秋葉原の騒がしい居酒屋に行った。喫煙可能な飲み屋なので、家族4人でそこ一帯が曇るほどの煙を吹かした。

兄は言った。「高校受験に失敗して、次こそはと思っていた大学受験にも失敗して浪人が決まったとき、3つ下のお前も高校受験があって、第一志望に受かっていたのが苦しかった。お前が高校生活を満喫しているのに俺は浪人だということがずっとしんどかった。気が狂うかと思っていた」

 

申し訳ないと思ったが、私は謝らなかった。今更なことだし、私の受験が成功したことが兄を追い詰めようとも、私は何も悪いことはしていない。それよりも、今度は私が現在進行形で、あなたとの生活の差で気が狂いそうになっているとは、やはり言えなかった。よかった、兄は稼ぎの良い大企業に就職できたのだから。よかった、兄は大事な人ができたのだから。学歴なんて関係ないのだ。結局は人柄なのだ。

 

生活を切り詰めているくせに、誘惑に負けて買ったチョコレートを食べながら「せっかくじゃがいもを100円で買えたのに、これじゃあプラマイゼロだな……」と思ったりしている。電気代節約のために暖房もつけていないが、電気毛布なら電気代がめちゃくちゃ安いという情報を仕入れた。でももうすぐ冬も終わるし、今更買うのもなぁと思いながら寒い夜を過ごし、いずれ春がやってくる。どうせ来シーズンになったら電気毛布のことなんか忘れてしまうのだろう。

安物買いの銭失いとはよく言ったもので、高くて丈夫なものを長く使うのが一番いいのだと分かっているのに、高いものを今買うお金がないので、仕方なく安いもので現状を維持し、買い直し、買い直し……の生活だ。「自炊のほうが安く済むと分かっているけど、自炊のための器具や調味料を買い揃える金がないからコンビニ弁当しかない」と、昔誰かから聞いた。私はコンビニ弁当で生活しているような感じだ。Amazonでテキトーに買ったコードレスのヘアアイロンは馬鹿くそ役に立たないし、通販で買った馬鹿安いコートはまだ2ヶ月くらいしか着ていないのにボタンが取れた。ニットもすぐ毛玉だらけになるし、その毛玉をとるために買った100円の毛玉取り機の性能はイマイチだ。ドンキのサイクロン掃除機も吸引力がすぐに死ぬので頻繁にフィルターを掃除しなければいけない。安い洗顔料で洗っていたら鼻の毛穴がすぐ詰まった。何もかも、上手くいっていない家に住んでいる。そういう環境にしたのは私だ。

 

 

 

2023年2月10日(金)

私唯一の長所「手先が器用」について思う。

「手先が器用」だから何だよ。シャツのボタンをつけ直せる?リンゴの飾り切りができる?細かいフィギュアを組み立てられる?だから何?

例えば好きな人の好きなところを挙げろと言われたら「優しい」とか「おもしろい」とか「顔」とか、性格やルックスに関するものを挙げるだろうが、「手先が器用」って言わなくないか?聞いた側も「だから何?」と思うし。手先が器用なことって人間の魅力としては一切関係がないんだよね。

 

ほんと、手先が器用って何だよ。どうでもいいんだよな、手先がどうであろうが。他人の性格にイラついて「でも顔がいいから許すか……」と思ったり、顔がどんなに好みじゃなくても「でも優しいからいいか……」と思ったりするけど、じゃあ性格や顔が悪くて「でも手先が器用だから許容するか」ってなるのか???ならなくないか???要素としてカスすぎる。

 

私は誰かから許しをもらえるような魅力を手に入れないといけないんだけど、怠惰だから無理なわけで、もう、どうしようもない。部屋にある組み立てフィギュアたち全部捨てちまおうかと思ったけど、冷静な自分が「総額いくらかかってんだこれ……捨てるくらいならメルカリ出すか……」と判断し、怠惰な自分が「メルカリに出すのはダルすぎる」と制止してきて、結局まだ部屋にあるけど、もう見たくないんだよね。「君には手先の器用さしか長所がありませんよ」「こんなもの作れても人間的な魅力には繋がりませんよ」と言われてるみたい。

 

いつか全部捨てるかもしれない。あれ全部で3万くらいかかってる事実がどうでもよくなってしまったら、全部ゴミ箱にぶちこんで燃えるごみに出すと思う。

2023年2月8日(水)

今日は誕生日で、両親に誘われて飲みに来ました。暇だったし食費が浮くので誘いに乗りました。

 

母に、校正という仕事はほとんど人と喋らずに、文章だけ読みつづけて1日8時間の労働を終えていると話したら「習い事して外の世界との関わりを持ちつづけろ」と言われた。「そんな金ない」で一蹴できちゃうのが虚しい。しないけど。

お母さん、分かりますか?現代の20代後半の契約社員はね、習い事するような金ないんですよ。わかる?クソ馬鹿安いジム(月3000円)通うので精一杯なの。普段、仕事から帰ってきたら換気扇の電気だけつけて料理して、真っ暗な部屋のなかでご飯食べて、真っ暗な風呂場で身体を洗い、真っ暗な部屋でテレビだけつけて(音量は絞っている)髪を乾かして、何もやることがなくて、寒いからさっさと寝るの。寝た方が金かからないから。暖房もつけられない。金ないから。

 

金払ってまで他人との関わりを持とうなんて思わないの。贅沢なのそんなの。経済とか終わってんの。収入が終わってるから。

 

これ、死ぬまで続くのかなぁ。この先50年とか。長いなぁ。